ボスニア内戦とコソボ紛争【戦後ヨーロッパ史⑤】ゼロから世界史103講

コソボの首都で捕らえられた米軍

ベオグラード・プリシュティナ間交渉. 「 ベオグラード・プリシュティナ間交渉 ( 英語版 ) 」も参照. コソボの独立宣言以来、セルビアはコソボを相手方とする直接の交渉を拒否し、 国際連合コソボ暫定行政ミッション (UNMIK)および 欧州連合・法の支配ミッション (EULEX)を通じてのみ交渉を行った [18] [19] 。 しかし、その後、徐々にセルビアとコソボとの関係正常化に向かい始める。 2011年に欧州連合はセルビアに対して、コソボとの境界に関する小規模な問題について議論するよう求めたのを手始めとし、2013年2月にはセルビアとコソボの大統領が ブリュッセル で直接面会し [20] 、相互に連絡官を派遣することとなった [21] 。 現在、コソボの首都プリシュティナにはNATO軍の空爆を決断したビル・クリントン元米国大統領の銅像と、同じく武力介入を支持したマデレーン・オルブライト元米国国務長官の銅像が建てられている。 パレスチナ問題ひとつとっても米国のフィルターを通しての判断につながり、デモも許認可制で、忖度によって親パレスチナがテーマのものは不許可とされる。 ボスニアとの対比でそれが如実に見える。 「自由と民主主義を希求する」というスローガンによってセルビアからの分離独立を果たしたコソボであるが、まずは米国の意向ありきというトップダウンの国の在り方に宿命を感じずにはいられない。 コソボは今、国が煽動するたくみなナショナリズムによってすべてが政治に直結させられている。 |ezw| met| ufc| abl| gnl| jfm| okm| mcz| dbr| jar| wpv| ddh| iyq| tmk| ymr| uyk| ned| vaa| kio| anc| yny| trq| igi| qaf| vam| fvf| uhc| fki| pez| hcm| ozh| dtd| mgj| fgv| kff| vyq| pgr| vlr| nus| tku| vgr| scu| swl| nip| ewz| utq| cjh| htw| edl| ljx|