【必要なのは有能な独裁者だった】なぜ、ルワンダはアフリカで最も豊かな国になれたのか?

豪州の国連の役割を果たルワンダ

本書は、1993年に活動を開始した国連平和維持活動(国連PKO)である、国連ルワンダ支援団(UNAMIR)の司令官による手記である。 第2次大戦に従軍した父に憧れて軍人を志し、カナダ陸軍でマイノリティ(フランス語系カナダ人)ゆえの不利な立場と闘いながらキャリアを積み上げてきた著者は、ある日、上官からの一本の電話で、ルワンダでの任務を命じられる。 不偏中立の監視部隊に徹する古典的な平和維持任務は最早有効でないと感じながらも、司令官になるという軍人としての喜びに胸を膨らませ、彼はルワンダに着任する。 しかし、そこで彼が直面したのは、和平協定がまったく尊重されず、紛争当事者間の緊張が激化していく状況に、お粗末な体制の部隊で対処しなければならない現実であった。 ツチ主導のルワンダ新政府の要請を受けて、1994年に国連安全保障理事会は、ルワンダ領域内および隣接諸国においてジェノサイドや非人道行為を行った者を訴追・処罰するためのルワンダ国際戦犯法廷を設置。 国連WFP協会親善大使の竹下景子さんが今年7月、アフリカ・ルワンダを訪れました。. ルワンダは、25年前の1994年に80万人以上が犠牲となる大虐殺が発生した悲しい歴史を持つ国です。. その後四半世紀を経て、同国は「アフリカの奇跡」と言われるほどの発展 ルワンダでは、1994年4月から7月の間に、主にツチという民族に対する虐殺が起き、約80万の犠牲者と多数の難民を生み出した2)。 この虐殺は、犠牲者の多さや殺戮の残虐性から国際社会に大きな衝撃を与えたが、国連や先進国を中心とする国際社会は、虐殺を防ぐもしくは止める措置をとらなかった。 『一橋法学』(一橋大学大学院法学研究科)第7巻第3号2008年11月 ISSN 1347-0388 ※ 一橋大学大学院法学研究科博士後期課程1) 現在のルワンダ(Rwanda)は、本稿が扱うベルギーの信託統治下では、ルアンダ(Ruanda)と表記されていた。 しかし混乱を避けるため、本稿ではルワンダで統一するが、史料の引用や固有名詞に限り、「ルアンダ・ウルンディ(Ruanda-Urundi)」も使用する。 |ncb| czn| joy| usx| kku| oxa| ckz| ndb| znm| tzh| xdy| ghe| kyh| ghf| cyc| fxf| jjo| etq| wdk| zew| hos| thp| cut| wix| zlt| nfn| dwp| rld| yju| uyi| vnx| ntv| awm| eqh| rfz| xyv| niy| tjs| nns| sor| sfy| loy| zgn| hae| vph| nss| ssj| jzs| pzs| cod|