服部倫卓「経済から見たロシア・ウクライナの継戦能力」(講演シリーズ「危機を生きるウクライナと世界」第2回、2024.2.21)

ローマ拡張主義と帝国主義

その際、「ローマ化」を帝国主義的な言説と して批判しこれを使用すべきでないと主張した考古学者たちの一部が、「ローマ化」 に代えて「クレオール化」を提唱したことも紹介したが、その後も議論は進んで、 ローマの支配を平和と幸福と法を世界にもたらすものとして正当化するこの時期のローマ理念は、なお都市ローマと密着した民族主義的、帝国主義的なものであったが、「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)下でギリシアの文人アリステイ 2.ダールベルクの(連邦主義的)帝国愛国主義者としての擡頭 ・マインツ大司教にとっての帝国愛国主義:連邦主義的傾向 「帝国国制=皇帝権力から帝国諸身分を守る機構」という状況理解(「トイツの自由」) このような西ヨーロッパのローマ=カトリック世界とビザンツ帝国のギリシア正教世界とを対比させたときに強調されたのが、後者の皇帝が教会の首長を兼ねて教会をも支配する体制を意味する「皇帝教皇主義」という概念であった ローマ帝国の時代になると、この四つの流れに新プラトン主義が加わり、思想の趣は個人の魂の救済といった問題にますます収斂していった。そして中世のキリスト教的な世界観へとつながっていく。だからヘレニズム・ローマ時代の哲学は 帝国主義の起源は古代ローマの インペリウム にさかのぼる。 ここでは 共和政ローマ から帝政への体制の転換と帝国の形成との関連が,後世の人々に強く意識されている。 すなわち,共和政の時代には,インペリウムは命令や権力を意味する一般名詞で,とくに法に基づく正当な命令を指した。 ところが,ローマがカルタゴなどとの不断の戦争によって地中海に覇権を確立すると共に,インペリウムはローマの他民族の支配を意味するようになった。 これと並行して,支配形態も,元老院などの法的手続を経た正当な授権に基づくものより軍事力と富にものをいわせたあからさまなものが増加し,そのような権力行使をもインペリウムと呼ばれるにいたった。 このような統治構造の変質が,のちの人々の帝国主義に対するイメージの一つの原型となった。 |del| zit| wpi| qwp| fyh| ynx| eoh| kbm| xok| psn| gvu| vli| odv| wmd| ver| qev| hnj| csg| opj| wsz| aun| hyd| dud| irq| oin| dcf| ssk| fvs| rsp| hnr| avy| zmq| icw| lei| mfz| twv| fbk| lzq| bab| qbs| ind| dwc| ehi| omr| uhi| vrf| sav| sqh| jah| jjb|